2009年03月29日

「ありふれた奇跡」最終回(仲)

あれれ?と目を疑うような急ピッチの展開にびっくり。
それまでは丹念に加奈(仲間由紀恵)と翔太(加瀬亮)の心の動きが描かれていただけに、いきなり両家の面談会には驚いた。

1クールではこの話を描ききる事は難しかったのかもしれないが、最終2話の性急なテンポには疑問を感じざるを得ない。

まぁ、ハッピーエンドだからそれはそれで良かったのだが。

しかし「終わりよければ全て良し」の逆説もあると思う。思い入れを込めて観ていた視聴者にはこの幕切れは満足のいくものだったのだろうか?
すくなくとも私はもう少し丁寧に描いて欲しかった、というのが率直な感想。

(仲村英一郎)
ブログパーツ
posted by 仲村英一郎 at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | ありふれた奇跡 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年03月23日

「ありふれた奇跡」最終回(む)

赤ん坊を翔太(加瀬亮)と加奈(仲間由紀恵)に預けて姿を消した女性は、結局夜になって戻ってきた。子供を育てることに自信をなくし途方に暮れていたというその若い母親を、駆けつけた藤本(陣内孝則)は、力になるからと諭し落着した。突然の出来事に、おろおろしながらも、なりふり構わず必死に世話をした二人、そして突然の終結。何だったのだろうと少し寂しそうに呟く加奈に「それでも僕達は無力じゃなかった。」と翔太が返した言葉が二人の気持ちを大きく進展させた。やがてそれぞれの家族にも二人を理解する気持ちが芽生えていた。

全話を振り返り、「ありふれた奇跡」とはよくよく出来たタイトルだと改めて思った。“奇跡”という言葉を修飾するには不似合いな形容詞。けれど身の回りで起こる全ての出来事に丁寧に目を向けた時、それらを「奇跡」と捉える事ができたなら、人はそこに「幸福」を感じ、力強く生きていく事ができるのではないだろうか…作り手のそんなメッセージを巧みに表しているからだ。
脚本家・山田太一のキャリアを実感し、美しい映像に見入り、言葉のリズムの妙を味わい、そして演じる役者の違った魅力や技量を再認識することのできたドラマでもあった。

「俺、ひとりじゃないよ。」
休日の晴天の河原。ファインダー越しにそう言ってピースサインを出した藤本の笑顔。初回で電車に飛び込もうとした男が、加奈や翔太との出会いを通して生きることに希望を見出した。それがまさしく奇跡。(むさし)

ブログパーツ
posted by むさし at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | ありふれた奇跡 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年03月15日

「ありふれた奇跡」第7〜9話(仲)

井川比佐志(田崎四郎役)と八千草薫(中城静江役)が素晴らしい。まるで演技をしてないような演技なのだ。単に年の功と言えないだけのなにかを感じる。四郎と静江の心の動きがじわじわとしっかり伝わってくる。

特に、田崎家の居間のコタツで二人向き合って話をするシーンには打ちのめされた。
四郎の翔太(加瀬亮)には子供をもってほしい、だから加奈(仲間由紀恵)を嫁として迎えるわけにはいかないと、静江に言い切る。そしてその言葉にショックを受け、貧血で倒れてしまう静江。ドラマではなく隣の家の出来事を見ているような気分がした。四郎の気持ちも静江の気持ちも痛いほどによくわかるシーンだった。


それにしてもこのドラマはドラマであることを感じさせないドラマだ。お決まりの展開に慣れてしまった私にとっては、意外な展開が次から次へと起こる。先が読めないのだ。
しかし、よく考えてみると私たちの日常とはそういうものかもしれない。自分の未来が思い通りに運ぶことはないし、予測しても外れる。

このドラマはそんな私たちの本当の日常を意識して作られているのではないだろうか。
ゆっくりと着実に心に染みいってくる名作と言っていいだろう。

(仲村英一郎)
ブログパーツ
posted by 仲村英一郎 at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | ありふれた奇跡 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年03月14日

「ありふれた奇跡」第10話(む)

藤本(陣内孝則)が、たまたま手伝ったマンション販売の仕事が上手く行き、100万円もの臨時の収入を得たと加奈(仲間由紀恵)と翔太(加瀬亮)に報告する場面、今回はここが個人的にすごく好きだ。のぼせちゃいけない、でも嬉しい、そしてその嬉しさと感謝を二人に伝えたいと、料亭に呼び出して食事をご馳走するのだが、それが豪勢な会席ではなく、「ランチ」というささやかさが微笑ましいではないか。溢れんばかりの喜びを素直に表現できるまでに心が回復した藤本を、加奈たちと同じ気持ちで喜べるような感覚だった。

さて、私達の身の回りでも、おそらくは起こっていそうな出来事を、独特のセリフのリズムや間を意識した脚本・演出で「ドラマ」にしたこの作品も、あと1話を残すのみ。さすがに最終回を控えて、少々「ありふれてはいない」事件が起こった。デート中の二人の所に赤ん坊を抱いた見知らぬ女性が近づき、「トイレに行っている間だけ、子供を抱いていてくれないか。」と、半ば強引に預けて行ったのだ。しかし彼女は小走りに去り、トイレの前を通りぬけ、そのまま街中へ…。
この赤ちゃんを預かったことが、加奈や翔太に何らかの気持ちの変化をもたらすのだろうか。さらには将来への考え方に何かヒントを得るのだろうか。

「次回、衝撃の結末!」…とは、昨今のドラマでは恒例のように使われる予告のコピーだが、このドラマに限ってはそういうあおり文句は不要だ。じっくりと彼らが出す結論を見守りたい。 (むさし)

ブログパーツ
posted by むさし at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | ありふれた奇跡 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年03月13日

「ありふれた奇跡」第7〜9話(む)

子供を作る、作らない、産む、産めない…そういった問題が加奈(仲間由紀恵)と翔太(加瀬亮)だけでなく、その家族を巻き込んで大きな波紋となる。まったくの他人からすれば、極めて乱暴な言い方だが、“どうでもいいこと”だ。あくまで当事者の事情で、周りが口を挿む事ではない、という意味で。しかし脚本は、あくまで「当事者」の目線にこだわる。そしてその目線でドラマの中で起きていることを辿ると、愚かな事をした過去の自分への後悔の念、親として知らずにいた娘の問題、そして先祖からの血を繋いでいくと言う意識の強さなどがダイレクトに伝わってくる。単純に誰か一人の、一方の味方になることができないくらい、それぞれの立場のそれぞれの思いに説得力があるのだ。
また、ドラマが進むにつれ、ドラマの初回で自殺を図ろうとした藤本(陣内孝則)が、加奈と翔太の間にある問題を何とか解決できないかと、あれこれ奔走する場面が多くなってきている。その行動は、ぎこちなく決してスマートではなかったりもするのだが、これが見ていてとても嬉しい気持ちになる。自分の悩みにだけ没頭し、絶望し、自殺を図ろうとした男が、何時の間にか気づけば他人の為に力になろうとしている…。偶然の出会いにすら、人をそんな風に変えられる力があるのだと、さり気なく教えてくれるこのドラマの「ありふれた奇跡」とは、本当によく出来たタイトルだ。 (むさし)

ブログパーツ
posted by むさし at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | ありふれた奇跡 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年02月18日

「ありふれた奇跡」第6話(む)

若気の至りという言葉で片付けるには重い出来事だが、加奈(仲間由紀恵)の場合は、それが安易な堕胎だったということになる。別れた恋人の子供を中絶するのに、家族や周囲の人間に極力知られないよう東南アジアへ旅行するする口実を設け現地でそれを行った。処置に問題があったのか単純な不運か、いずれにせよその結果、彼女は子供の出来ない身体になってしまった。
そんな告白から始まる第6話。彼女の思いや、それを知った翔太(加瀬亮)の心とは関係なしに結婚をどこかで意識している互いの家族からは、子供や孫の話題がなにかにつけ飛び出す。加奈を庇って思わず「子供を持つ気はない」と加奈の祖母に言ってしまった翔太の言葉が波紋を呼んだ。

派手な国際テロ事件、凶悪な連続殺人事件が起こるわけでもない。そういう出来事に比べたら、なんと日常的な「悩み」で、また個人レベルの「事件」なのだろうと思うだろう。しかし日々の生活の中で、私達が向き合い、戦い、また傷ついているのは、まさにこういうこと。あえて大袈裟に描きはしないが、丁寧に描くことについては妥協しない。そういう描写とセリフの一つ一つに共感する。

口数の少ない左官屋の職人・神戸幸作(松重豊)の久々の出番は、離れて暮らす幼い娘たちから送られてきた絵を翔太に見せるシーンだ。そのやりとりは無骨ながら可笑しいものだったが、「家族」という事を真剣に考えなければならない局面にいる翔太にとっては、それも大切な過程だ。スナック「妙」での巡査(塩見三省)を交えての交流も、母親(キムラ緑子)との他愛のない会話も、全てがさりげなくも意味をもつシーンの連続。無駄がない。 (むさし)

ブログパーツ
posted by むさし at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | ありふれた奇跡 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年02月12日

「ありふれた奇跡」第5話(仲)

「生きていくしかない!」

加奈(仲間由紀恵)と藤本(陣内孝則)が待ち合わせたスナック「妙」でママの息子の事故死を知らされた二人。
アルコール依存症の既往歴をもつ藤本は「酒を飲もうか」と佳奈にもちかけるが断られる。しかし、藤本の生に対して死に対してのやるせなさはピークに達していた。どうすればこの気持ちが治まるのか。藤本は自分でも気づかないうちに佳奈に迫っていた。だれかと抱き合うことによってこの気持ちを収めたかったのだ。

それに対する佳奈のセリフが冒頭のセリフ。藤本は自分の行為の愚かさに恥じ、そして倒れこんで泣く。

「生きるしかない」という言葉の裏には「ならば死ねばいい」(もちろん佳奈はそんなつもりはなかったが)が見え隠れする。

自殺未遂歴のある藤本にとっては、これほどキツい言葉はないだろう。
このシーンを観ていて、涙がボロボロこぼれた。では、人はいったいどうすれば救われるのかと。
藤本の気持ちもわかる。正しい。佳奈の気持ちもわかる。それももちろん正しい。では、人はどうすればいいのか。

あまりにも切ないシーンだった。

(仲村英一郎)
ブログパーツ
posted by 仲村英一郎 at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | ありふれた奇跡 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年02月10日

「ありふれた奇跡」第5話(む)

ビジュアル的に圧巻で脳裏から離れ難いのは、女装して町を闊歩する二人の父親(風間杜夫・岸辺一徳)達のシーン。二人の子供同士が交際している状況を慮って、密かに趣味にしていた女装クラブ通いを最後にすべく、思い切って外を歩いてみる事にしたのだが、その場所が六本木や新宿などの大都会ではないところがいい。中規模な駅のそばの商店街というようなロケーションがリアルだ。またその通りを躊躇いがちに歩き出す二人が、徐々に周囲の視線やリアクションに快感を覚え始める描写が絶妙で見事。奇妙な説得力すら感じてしまう程のベテラン役者ならではの表情や仕草を楽しませていただいた。
そして表情といえば、子供が欲しいけど産めないという加奈(仲間由紀恵)と、その発言に少し驚いて慌ててフォローの言葉を捲くし立てる翔太(加瀬亮)との場面、「もう帰る」と言った仲間由紀恵のそれこそ子供のように顔を歪める瞬間の表情にはドキッとした。あまりにも自然で、所謂「お芝居」で作り出す“パターン”の泣き顔には見えなかった。あんな顔されたら、翔太でなくても慌てるだろうなぁ、と。

加奈と母親(戸田恵子)の親子のやりとり、祖母(八千草薫)の女ならではの洞察力溢れる嫁(戸田)への言葉、以前トラブルを起こしたカフェの店長との和解(あれは気持ちのいい場面だった)。行きつけの店のママの息子が交通事故に遭うというシビアな展開もあるが、しかしそれらも含めて私達の「日常」というものがこういった出来事で構成されているのだということを改めて知る。当事者でなければ、おそらく関心もなく通り過ぎるような出来事の連続。なのに一歩その枠の中に踏み込むと些細な事の一つ一つがドラマになり、その関係する人全てに感情移入してしまう。
まんまと山田太一の世界に引き込まれてしまっている。(むさし)

ブログパーツ
posted by むさし at 00:00| Comment(0) | TrackBack(2) | ありふれた奇跡 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年02月03日

「ありふれた奇跡」第4話(む)

中城加奈(仲間由紀恵)が、唐突に、翔太(加瀬亮)の家を見てみたいと言う。男女の関係になることには強い躊躇いがあるのに、家が見たいとは…。「わっかんねぇ〜」と、加奈の言葉の意味を受け取りかねて思わず漏らした翔太のセリフが可笑しかった。互いに恋愛にはどこか消極的でありながら、やはり「美しいお姉さん」を前にすれば、あれこれ妄想にも似た期待で振り回されるのも無理もない。

今回、田崎翔太という人物を描くにあたって、「アイリッシュダンス」を絡ませた事は面白いと思った。ステップを踏んでダンスの真似事に興じる二人の足音が、父親と(風間杜夫)と祖父(井川比佐志)に多大なる誤解を招いた事はこの際置いといて…800年という長い時間をイギリスの強い支配下に置かれた人々が、それでも、なお踊りたい、そして踊ったというそんな経緯で生まれたアイリッシュダンス(上半身は動かさず下半身のみでタップを踏んで踊る)に、翔太は強さや逞しさを感じ、そして励まされるという。工務店の2階の小さな和室に絨毯。襖にはケルトの壁紙、アイリッシュダンスの写真。本棚には関連書籍…どこかちぐはぐな風景の中で、けれど翔太の根底にある生き方に対する感性がその言葉と共にスッと理解できたように感じた。生い立ちや過去の出来事で人物の内面を説明する場面はよくあるが、こういう間接的な手法も柔らかくていい。

さて、父二人(風間・岸辺一徳)、何やら奇妙なコネクションがあったようだ。次週予告でチラリと映った「アレ」がそうか?(そういえば、放送前の番宣でネタになっていたなぁ)
うーん、こっちは「奇跡」というより「奇遇」の域??(むさし)

ブログパーツ
posted by むさし at 01:00| Comment(0) | TrackBack(0) | ありふれた奇跡 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年02月02日

「ありふれた奇跡」第4話(仲)

なんという美しいキスシーンだったことか。

オレンジ色の夕陽をバックに二人の重なり合うシルエット。余計な説明は一切無い。

加奈(仲間由紀恵)が翔太(加瀬亮)の家を訪れ一家に歓迎され、翔太の部屋で翔太の意外な趣味(ケルトやアイリッシュダンス)を発見した加奈は一緒にアイリッシュダンスを踊る。興じあった二人はやがて疲れて床に座り、ごく自然にキスを交わす。

二人の気持ちが手に取るように伝わってくるのだ。それも野暮なセリフなど一切無く、とつとつとしたセリフだけで、感情が伝わってくる。

言葉は感情の代弁者である。しかし時に言葉はウソをつき、誤解や不信を生むこともある。虚実混じり合った言葉が気が遠くなるほどの回数かわされる。そうやって人間は他の人間との距離を縮めたり遠くしたりする。そんな繰り返しなのだ。
その結果として、恋が生まれたり、憎しみに変わったり、いとおしさになったり、悲しみになったりする。
それが人間だ。

それをすべて飲み込んでシナリオに書き出す山田太一はやはり凄い。
大御所らしいシナリオだ。唸らざるをえない。

(仲村英一郎)
ブログパーツ
posted by 仲村英一郎 at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | ありふれた奇跡 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年01月27日

「ありふれた奇跡」第3話(む)

中城加奈(仲間由紀恵)は、田崎翔太(加瀬亮)に、自分たちは男女の間柄ではなく「死のうとしたことのある人の会」だと、何やら、やけに直接的で、それでいて距離感のある関係性を提案する。お人よしの翔太は「いいね」と受け入れる。相変わらずじれったい展開だが、第3話となり、そのリズムにも少し慣れて来た気がする。

今回、翔太が何故死のうと思ったか、その理由を告白する場面があった。
大学を卒業して、マイナーな事務用品を販売する会社に就職した彼が、そこで思うように力を発揮できず、上司から酷い罵りを受けながらも、その上司に縋る思いでへつらう毎日だったことを、そしてある日自宅の倉庫で首を吊ろうとして祖父に止められたことを、鬱だと診断されたと苦しい気持ちと共に加奈に吐き出すシーンだ。その理由があまりにもリアルで身につまされた。ドキっとした。おそらく会社勤めの経験のある人なら(もちろん会社に限らないが)、立場はどれであれ、翔太の会社での情景はまざまざと思い浮かぶだろう。そんな事で?と健全な心境なら思い及ばないことでも、そういうストレスの積み重ねは簡単に人を追い詰める。
第2話のレビューで仲村氏も書いているが、私もこのドラマの特徴と魅力は視聴者に媚びないさりげなさだと思う。翔太の自殺(未遂)の動機にしても決して視聴者の気を引くような衝撃的な理由ではない。が、現実味がある。だからすぐ隣で起こっている出来事のような感覚となり、見入ってしまうのだと思う。この「日常」の観察力と表現力、これがベテラン脚本家のベテランたる所以か。(むさし)

ブログパーツ
posted by むさし at 01:00| Comment(0) | TrackBack(0) | ありふれた奇跡 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年01月26日

「ありふれた奇跡」第3話(仲)

気のせいかも知れないが、中城加奈は仲間由紀恵の等身大の素顔に近いのではないだろうか。仲間の数々の出演作のどれよりも、どこかふっと力が抜けていて、ああきっと彼女はこんな柔和で繊細な性格なんだろうな、と本作を観ながらそう感じる。「ごくせん」「TRICK」などとは、なにかが明らかに違うのだ。

前回のレビューで「まるで自分がその画面の中にいる一人のような錯覚に陥ってしまう」と書いた。その延長線上で、私は彼女に恋をしたかもしれない。いや、確かに恋心が芽生えている。「彼女」が「加奈」なのか「仲間由紀恵」なのかは判然としない。が、彼女が愛おしい。
これまで数々のドラマを観てきたが、こんな経験は初めてだ。

ホームドラマでイジメ役を演じた役者が街角で見知らぬ人から主人公を苛めるなと叱られた、などという話をよく聞くが、私もそれと似たようなものかも知れない。

・・・

しかし、よくよく考えてみると、このドラマの役者は皆演技をしているように見えないことに気がついた。皆がありのままを演じているように感じてしまう。だからこそ「まるで自分がその画面の中にいる一人のような錯覚に陥ってしまう」のだろう。
秀逸な演技と見事な演出だ。タイトル通り、これは「奇跡」だ。

早く「仲間加奈」に会いたくて、木曜日が待ちきれない。

(仲村英一郎)
ブログパーツ
posted by 仲村英一郎 at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | ありふれた奇跡 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年01月23日

「ありふれた奇跡」第2話(仲)

なんの変哲もないドラマだ。どこにでも起こっていそうな日常をただ綴っただけのシンプルなもの。非日常的なのは主要キャラクター三人が三人とも自殺を考えた(もしくは未遂に終わった?)ことがあることでつながっていることくらいか。
また、ダイアローグも練りに練ったような気の利いたものでもなく、これまた日常的なものだ。

しかし、しかしである。

気がつくと画面に見入ってしまう。何故なのだろうか。ドラマチックな展開がそこにあるわけでもないのにだ。まるで自分がその画面の中にいる一人のような錯覚に陥ってしまう。登場人物にすっかり感情移入してしまうのだ。

そして一つ気がついた。今世間にあふれているドラマは視聴者の気をひこうとしているものが多いことに。だから本作のようなドラマが逆に際立つのだと言うことに。

いずれにしても、本作はさりげない作りながら、視聴者の心を動かす名作となるだろう。最終回まで視聴するつもりだ。

(仲村英一郎)
ブログパーツ
posted by 仲村英一郎 at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | ありふれた奇跡 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年01月16日

「ありふれた奇跡」第2話(む)

不器用さを滲み出させるぎこちない会話のやりとり、独特の台詞まわし、そのリズムは舞台のようでもあり、また小説を読んでいるようでもある。
知り合った男女が、メールのやりとりの中で、それぞれが過去に一度は死のうと思った経験があることを告白する。互いに気にはなるのに、と言って、安易に恋愛に向かわない(向かわせない)距離を保ち続ける二人。二人の日常を肉付けするように、それぞれの家族を描く。これと言って大きな出来事のない展開だ。にもかかわらず見入ってしまう。このまったりした感覚を何故「退屈」と感じないのかが不思議だし、そこが山田太一という脚本の魅力のひとつなのだろうか、とも思う。

終盤、田崎翔太(加瀬亮)が、加奈(仲間由紀恵)に、自分の職業、ありのままを知ってもらおうと汚れた左官屋の作業着のままカフェに行くと、店員から退店を促されるような言葉をかけられた。その差別的な対応に腹を立てた加奈が、店員にひとしきり反論し、代金を押し付けて店を飛び出すシーンがある。ドラマとして見た場合は取り立てて大袈裟な場面ではない。けれど、こういった些細なトラブルも、自分の日常で起こったらちょっとしたハプニングだろうな、という事に気付かされる。この事自体を「奇跡」とは呼ばないだろうが、しかし、こういうレベルまで目線を下げていくと、山田太一の言う「私達の日常には奇跡が溢れている。」という言葉の意味が徐々にわかってくるのではないだろうか。そんな気がしてくる。(むさし)

ブログパーツ
posted by むさし at 02:38| Comment(0) | TrackBack(0) | ありふれた奇跡 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年01月11日

「ありふれた奇跡」第1話

私は山田太一のドラマを見たことがない。
ところが、”最後の連ドラ”発言があったというから慌てて視聴した。

ドラマ自体はとても素朴。シンプル。飾ったところがなく、ありのままである。
人との会話のちょっとした気まずさが、とても器用に描かれているのが面白い。
日常の中のちょっとしたドラマチックな瞬間を楽しめる初回だった。

キャストは他のドラマに比べて少ない。
しかし、彼らの間で起こる出来事や感情には深いものが見い出せそうだ。

山田太一ドラマの集大成となるような作品になって欲しい。
(緋炎)
ブログパーツ
posted by 緋炎 at 11:14| Comment(0) | TrackBack(0) | ありふれた奇跡 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年01月10日

「ありふれた奇跡」第1話

放送前の会見で「連ドラはもう書かない。」という発言で話題になった山田太一氏の脚本によるドラマ「ありふれた奇跡」。その話題性も“今時”の視聴者を引き付けるには少々インパクトがなかったか。12.5%という初回の数字からはそんな印象も受けた。そもそも、30代後半以降ならば、好き嫌いはともかく、かろうじてそのブランドネームに反応はできるだろうが、それ以下の世代ではぴんと来なかったのかもしれない。

ある日、中城加奈(仲間由紀恵)は、ホームの端に立つ男・藤本誠(陣内孝則)を見て妙な胸騒ぎを覚えた。死のうとしているのではないか?そう、思ったのだ。やがて滑り込んでくる電車。男がフラリと動き出す。咄嗟に駆け寄る加奈と同時に別の男・田崎翔太(加瀬亮)が、無理矢理、藤本を引き摺り戻した。助けられた男は「自分は死のうとしてなんかいなかった!」と二人を批難するが…。
この出来事の後、二人は互いの直感を確かめるように言葉を交わす。「アノ人、本当に死のうとしてましたよね?」「うん。」「どうして?そうはっきり言える?」「そう…感じたから。」「そうよね。」
後日、藤本が当日事情聴取に立ち会った警官(塩見三省)と共に二人を訪ねてきた。そして本当はあの時死のうとしていたことを告白し、二人に詫びと礼を告げ、さらに訊ねるのだった。「もしかして、お二人とも死のうとした経験があるんじゃないかと…」

スリルや派手なアクション、大掛かりな設定などとは無縁の物語のようだ。日常の風景をそのまま切り取ったかのような空気。しかし山田太一はそういう日常の中に実は「奇跡」は溢れているという。その奇跡に気づくことで、人はもっと希望を持って生きる事が出来るのではないだろうか、そんなメッセージを託しているのだ。

初回だけでこんな予測をするもの失礼な話だが…恐らくはこの後も取り立てて注目されるドラマにはなり得ないだろうと思った。イケメンが出てくるわけでもなし、ストーリーも決して刺激的な展開ではない。いわゆるキャッチーな要素も少ない。けれどそれは数字の話だけで、ドラマとしては地味だがいい作品になるだろうと思う。少なくとも私は最後まで見るつもりだ。エンヤの透明感のある主題歌と共に、ドラマのメッセージが毎回、じんわりと身体に浸透していく感覚を楽しみながら。(むさし)

ブログパーツ
posted by むさし at 22:33| Comment(0) | TrackBack(0) | ありふれた奇跡 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする